もうどれぐらいたったんだろう。時間の感覚はひどく曖昧だった。それでもきっと、1時間程度は経っているんじゃないかと思う。
温めとはいえ、ずっとお湯に浸かっているせいで身体が熱くて仕方がない。いつまでこうしていれば良いのか、そんなの私が知るわけがない。
それを知っているのは私の横にいるノボリだけだ。
やることもなく天井を見つめていた視線を、ついと横へ向ける。
浴槽からだらりと垂れた私の片腕をとって、手首に耳をつけ、ノボリはじっと目を瞑っていた。何をしているのかといえば、脈拍の音を聞いているのだそうだ。これが聞き納めだからだと。
「ノボリ」
「…」
「ノボリ、もういい?」
「もう少し、だけ、お待ちください」
「それはさっきも聞いた。でも、このままだと私むしろ脱水症状で倒れそうよ」
「……わかりました」
渋々、といった様子で私の手首から耳を離したノボリが包丁を手に取った。ひたり、添えられた金属の冷たさが逆に気持ちいい。
鋭い刺激が走ったのは一瞬で、その後はじくじくとした痛みがとどまり続ける。
肌を流れる赤い液体に、はぁ、と熱の籠った吐息を吐いて、ノボリがそこへ口を寄せた。
ちゅっ、ちゅっ、と軽いリップ音を響かせ、ノボリの舌が溢れ出す血を舐めて、啜って、足りないとばかりに傷口を抉って、そのたびまるで刃物を押し込まれているかのような激痛が走った。…痛い。痛い、はずなのに、段々とその感覚すら麻痺していく。
掬いきれなかった血が垂れて、浴槽に混ざって赤い波紋をつくる。少し身動ぎをするとそれが掻き混ぜられて、透明だったお湯はうっすらと赤色に染まっていった。
腕が酷く重い。さっきまで熱いとすら思っていたのに、とても寒い。そして眠い。
次第に自分の身体を支えることすら難しくなってきて、ずりずりと下がり始めた私の身体をノボリの腕が支えた。
「大丈夫ですか」
大丈夫なわけがあるか。普段だったらそう返すところだけれど、生憎と今の私は口をきくことすら億劫だ。抑々震える唇はまともに言葉を紡ごうともしてくれない。
真っ青になってしまっているだろう唇にノボリのそれが重ねられた。鉄臭いそれに無意識に顔を顰める。
「口を、開けてくださいまし」
その言葉の意味を問うよりも先に、ノボリの手が私の口へとのび、無理やりこじ開けられる。
何をするつもりだろう、ぼんやりと考えながらされるがままになっていた私の顔に、ぼたぼた、生暖かい液体が落ちてきた。霞む視界に赤色が鮮やかにうつった。
私の目の前に、ざっくりとした傷痕を晒したノボリの腕があって、そこからとめどなく流れる血が口の中に降ってくる。
口いっぱいに鉄の味が広がって、まずい、おいしくなんてない。けれど文句を言おうにもこの液体を飲み干さないことにはどうしようもなくて、仕方なく、少しずつそれを嚥下していく。
こんなもの、あんなおいしそうに舐めてたの、ほんとノボリ頭おかしいんじゃないの。
脳内で毒づいて、ああ、でもこんな状態にひどく幸せを感じる私もきっとそうだから、結局私たちは似た者同士の同類なんだ。
「そんなに顔色を悪くして…もっと、わたくしの血を飲んでください」
「ん、……っく、」
「とても、綺麗です。白い肌に、赤い血が映えて、本当に」
そんな馬鹿らしいことを言いながらノボリはまた私の手首をとって、傷口に口づけられて吸われる感覚に頭がぼうっとなる。
まるでお互いの血を交換しているみたいで、場違いだけれど笑いが漏れた。
「?」
突然笑い出した私に、ノボリが不思議そうに顔を上げる。それになんでもないと首を振った。
目の前にあったノボリの手をとって恋人繋ぎをするようにからませると、手首の傷が触れ合ってぐちゃりと濡れた音がする。
疾うの昔に痛みを感じなくなったそこをすり合わせて、ノボリの血と私の血が混じりあって、セックスなんかよりももっと深く、もっと根源的な部分で繋がりあっているんだと心が満たされていく。
今までにないぐらい、たくさんキスを落とされてその合間にノボリが独り言のように小さくつぶやいた。
「、愛しております」
口の中はカラカラで、喉にも血がこびりついているんだろう、さっきとは違う意味で声がうまく出ない。それでも、掠れた声を絞り出した。
「私、も」
ノボリが少しだけ目を丸くして、青白い顔で口元を私の血で真っ赤にして、柔らかく微笑むものだから幸せな気分になる。
まったく、私なんかより綺麗なのはノボリのほうじゃない、なんて言葉は胸の奥に押し込んで、血の味のするキスに酔った。
血紅色の愛をもっと頂戴