※サブマスがシャム双生児だったらというパロ/不謹慎なネタなので閲覧注意
世間一般の人々と同じように生きることができないのは、この世に生まれ落ちた瞬間から既に決まっていた。
それでも父にも母にも、ましてや双子の片割れにも恨みなど抱いてはいない。場合によっては見世物のように同情と憐れみの視線に晒され、娯楽の対象として消費されるだけだったかもしれなかったのだ。それを思えば、世間から隠すように地下へ閉じ込められたことなどほんの些細な出来事だった。
陽の光は当たらないが、それでもここならば、唯一の取り柄ともいえるバトルが出来る。バトルをすることで生活ができる。
物心ついたときから遊び相手は自分自身とポケモン達だけだった。異形ともいえる自分たちを、ポケモンは怖がることも憐れむこともしない。二つの頭から発せられる別々の指示も、彼らはきちんと理解することが出来た。
自分たちにとっての遊びはポケモンバトルで、暇さえあればそれをしているものだから当たり前のように実力は伸びていき、気づいた時には誰も彼もが自分たちには勝てなくなっていた。
どんなに健康な人間でも、バトルとなれば自分たちには敵わない。それはある種、後ろ暗い快感でさえあった。
普段は自分たちを蔑む相手を、叩きのめし捻じ伏せ這い蹲らせ見下せる喜び。それに没入するように、ただただバトルを続ける生活になんの不満もあるはずがない。
ああそれでも、サブウェイマスターとしてこの地下鉄で挑戦者を待ち受ける立場になっても尚、未だに慣れることなどないのだ。
訪れた挑戦者が、初めて自分を見たときのあの、驚愕と憐憫の入り混じった表情には。
本日最初のバトルは、ノーマルマルチトレイン。ノーマルというあたり少々落胆もいたしましたが、バトルできるという事実に変わりはありません。
挑戦者は記憶にある限り初めてのお客様で、つまりはわたくし達とは初対面。
ですから、そう、一人が発した「うっわ…なにお前ら」という言葉もある程度は予測済みで、今更腹を立てるようなことではありませんでした。
ただ一つ、予想の範疇を超えたことがあるとすれば、それを聞いたわたくしたちが何かを言うよりも先に、もう一人の放った右ストレートがそのお客様の頬へと吸い込まれていったことでしょうか。
唖然とするわたくしの目の前で「失礼なことを言ってしまって本当にすみませんでした」と深々と頭を下げた彼女の名は。
これこそ、欠片の嘘偽りも誇張もなく、わたくしの人生を変える出会いでございました。
嫌悪に歪んだ表情も侮蔑の言葉も、わたくしたちにとってはむしろ『ふつうの反応』でしたが、それを真正面からたしなめる人物がいようとは。
それはわたくしにとっては新鮮な驚きであり、喜びでもありました。
この方ならばあるいは、わたくしたちのような人間も受け入れてくださるのではないだろうか。この異形の身体を、恐れることもなく見据えてくださったこの方ならば。
その時、わたくしの人生に、一条の希望という光が差し込んだのです。
様という人物は、初対面の印象そのままの方でした。清廉潔白であり公平を是とし、そしてなにより、純粋にポケモンバトルを楽しんでおられる。
現に、あの後また別のパートナーを伴って現れた様は見事わたくしたちからスーパーマルチへの切符を手にされ、今は新たな戦術の訓練に勤しんでいるご様子でした。
お客様の中にはわたくしたちのこの姿を見てその後訪れなくなる方も多いのですが、様はその例に当てはまることもなく、むしろわたくしたちを見かけては積極的に声すらかけていただく始末。
そうして交流を深めるたびに、様の真っ直ぐなお心に触れるたびに、わたくしの中で膨らむ想いは、ある意味自然の摂理だったのでございます。
様がいらっしゃってから、今までは煩わしいだけだった見回り等のバトル以外の業務でも楽しいと思えるようになりました。
様がいらっしゃるのを待つ日々は決してつまらないものではなく、生まれて初めて明日が待ち遠しいと思うその感情を知りました。
それは確実に良い変化であり、それをもたらしてくれたのは様以外のどなたでもない。様と出会って、わたくしは、自分の生きる意味というものを見いだせた気がするのです。
…ただ、様と出会ってわたくしが知ったのは良い感情ばかりではないということも、また、確かなことでございました。
「ってさあ、いい子だよね」
「どうしたのですか突然」
「僕たちのこと怖がったりも気味悪がったりも全然しないし、だれとでも仲良くなれる子なんだろうなって」
「…ああ、そのようですね」
唐突に呟いたクダリの視線の先を追えば、わたくしたちの知らない利用者の男と楽しそうに会話する様の姿がありました。
わたくしたちが知らないということは、未だに、ノーマルでさえも、わたくしたちの元にたどり着いたことがないということ。
そんな男でも、わたくしたちよりはずっとずっと、あの方に振り向いてもらえる希望があるのでしょう。
――こんな身体では、想いを伝えることもできない。
その思いは日毎夜毎、わたくしの胸を焼き焦がすのです。
片割れのように、最初から手に入らないのだと諦められればよいものを。地の底で、光を求めて足掻くわたくしはさぞや滑稽なことでしょう。
初めは、ただの好奇心だったのです。ただ、クダリ以外にもわたくしを一人の人間としてと認めてくれる方なのかもしれない、と。
けれどいつしか、わたくしはあの方に一人の人間ではなく、一人の男として見ていただきたいと願い始めておりました。それが身の程知らずな願いであることは、重々承知でございます。
暗い車窓がわたくしの歪な姿形を反射するたびに、人とは違うことを思い知らされる。こんな姿でさえなければ、まだ、希望はあったかもしれません。
そう、クダリさえ、いなけれ…ば?
ふいに思い当った恐ろしい考えを、わたくしは慌てて頭から振り払いました。そんな、そんな大それたこと、出来るわけがありません。
まさか感づかれてはいまいかと、こっそりクダリの様子を窺ってみればいつもと変わらぬしまりのない顔。ああよかった、気づかれていないようだ。
双子とは不思議なもので、特にわたくしたちは文字通り繋がっているものですから、時折直感的に相手の考えていることが察せてしまうことがあるのですが、幸運なことに今回はおきなかった様子。
ふう、と安堵の息を吐き、冷静になって考え直してみればみるほど、あまりにも現実離れした想像に苦笑すら漏れてきました。
クダリを殺すなどと想像するだに恐ろしい。
ああ、しかし。わたくしにそんなこと出来るはずがない。と、思う傍ら、それは恐ろしく甘美な響きを持ってわたくしを魅了するのです。
ずきり、鈍い痛みが頭に走り、顔を顰めた私の方へ「大丈夫?」と振り返ったクダリの顔は、なぜか黒く塗りつぶされて見えました。
鈍痛で目を醒まし、手探りで探し当てた時計を見れば未だ深夜。
起きる寸前まで見ていた夢はとてもリアルで、わたくしの腕には確かに何かを強く絞める感触が残っております。
あの日から止まぬ頭痛はまるでわたくしを責めたてるように、日増しに酷くなるばかり。痛い。痛い。米神を押さえながら頭を軽く持ち上げ、すやすやと眠る半身を見やれば、その何の悩みもなさそうな顔に、更に苛立ちがつのる。
わたくしがどれほど苦しんでいるのか、分かるはずなどないのかもしれません。
お前さえ、いなければ。お前さえ。
どっ、どっ、とやけに大きな心臓の音だけが耳に響いて喧しい。
小刻みに震える手をその首へと伸ばし、触れるか触れないか、その寸前に、何かを察したのか「ん、」とクダリが呻いて、うっすらとその目を開きました。
「…ノボリ?」と、自分に伸ばされたわたくしの手を、寝ぼけ眼のクダリが不思議そうに見つめていて、わたくしは途端に恐ろしくなり、もう、後には戻れないという焦燥感が、わたくしを突き動かしたのです。
叩きつけるように勢いよく、クダリの首へとその手をかけ、全力を込めて、強く締め上げました。
いま、その動きを永遠に止めようとしているのは、わたくしのものではない、はずなのに。
ぎりぎり、ぎりぎりと、万力で絞めあげられているかのような痛みがわたくしのそれに走るのです。
嗚呼しかしこうでもしなければ、わたくしたち、いいえ、わたくしが、幸せになることはできない。
生まれてから今まで、わたくしたちは喜びも悲しみも、全てを分かち合ってきました。けれど今度ばかりは、二人一緒というわけにはいかないのです。
どちらかが、犠牲にならなければならない。
そしてわたくしは、何を犠牲にしても自由をつかみとる、その決意を固めたのです。
右腕に食い込む爪の痛み、ばたばたともがく左足の感覚、開かれた口から微かに漏れる呻き声。
それらの、わたくしが今為そうとしている行為のその過程を直視することもできず、首を絞め落とし耳にうるさいほどの静寂が訪れるまで、わたくしは固く固く目を閉ざしていました。
いつ死んでも可笑しくない身。むしろ二人ともここまで健康に生きられたことが奇跡とも言われていたものですから、片方が突然命を落としたとしてもなんの疑問も抱かれることはありませんでした。
わたくしはただ、半身を喪い悲しみにくれる男を演じていればいい。
碌に調べることもされぬまま、冷たくなった半身とわたくしの身体は手術によって切り離され、そうしてわたくしは、とうとう自由を手に入れたのです!
とはいえ歪曲した身体と醜い手術痕は残りますし喪った片腕はもう元には戻りませんが、そのようなことは些細な問題でしかありません。
長年望み続けた、わたくしだけの身体。このような日が現実に訪れるとは…!
しかし、喜びに震えるわたくしを嘲笑うかのように、その日を境に、わたくしの体調は悪化していったのでございます。
どれほど体調が悪くとも、サブウェイマスターとして挑戦者とバトルすることは、わたくしの使命であり生きがいでもあります。
片腕さえあればバトルはできる。
下がらぬ熱と身体の痛みに耐えながら、これ以上仕事を休むわけにもいかず久方ぶりにギアステーションに戻ったわたくしを迎えたのは、以前と変わらぬ人々の視線でした。
しかし、もはや様以外の人間からどう見られているかなど、わたくしにとってはもはやどうでも良いことでございます。
今はただ、一刻もはやく様にお会いしたい。
その想いが通じたのか、偶然にもホームを歩く様を見つけ、私は思わず声をかけておりました。
「様!」
「あ、ノボリさん」
「お久しぶりです、様」
「ノボリさんこそ、…その、クダリさんのこと、お気の毒でした」
振り返った様はわたくしの方を見ると、今は空白となったクダリの居場所に視線を移してから痛ましい表情をされました。
わたくしも、既に慣れたものとなった演技をするために、顔を俯かせ軽く帽子の鍔を引き下げます。
「お気遣い有難う御座います。…元々あのような身体ですし、ある程度は覚悟しておりましたが、こんなに突然とは…」
「そうですよね…。前にお会いしたときはクダリさんもノボリさんも、あんなにお元気そうだったから、私もびっくりしちゃって。…あの、ノボリさんもなんだか顔色悪いですよね…?」
大丈夫ですか、と心配そうに顔を見上げてくる様に、鼓動が高鳴るのを抑えきれず、顔に熱が集まるのを感じました。ただでさえ、高熱を発していた頭が煮えるように熱い。
「ああ、いえ、少し熱があるようですが、これ以上業務を休んで駅員の皆様や、様をはじめとするお客様にご迷惑をおかけするわけには参りませんので」
「そんな、大変なことがあったんですし、もっと休んでても誰も文句なんて言いませんよ!ノボリさんだって辛いでしょう?」
思い返せば、その時のわたくしは確実に浮かれていたのでございます。
様に優しいお言葉をかけられ、舞い上がっていた。ですから、言うべきではなかった一言を、つい口を滑らしてしまったのです。
「わたくしは大丈夫ですので、心配なさらないでくださいまし」
「でも…」
「これも、手に入れた自由の代償と思えば、軽いものでございます」
「…え?」
しまった、とそう思った時にはもう遅く、様が怪訝な顔でわたくしの方を見ておりました。
「自由、って…どういうこと、ですか?」
「い…いえ、その、わたくしそのようなつもりでは」
「弟さんが亡くなったのに、そんなこと言うなんて…」
ハッ、と何かに気づいたように、様は顔を上げるといつかのようにわたくしのほうを真っ直ぐ見つめると、まさか、といった様子でわたくしが一番恐れていた台詞を口にしました。
「そのために、クダリさんのことを…とか、じゃないですよ、ね?」
そんなわけがない、と否定できればよかったのかもしれません。
しかし、あの真摯な視線に貫かれ、はぐらかすことも嘘を吐くことも、わたくしにはできませんでした。ただただ押し黙ったわたくしに全てを察したのか、眼を大きく見開いた様は、以前には終ぞわたくし達には向けられることのなかった、化け物を見るような目でわたくしを見て、一言叫ばれたのです。
「っ、人殺し!」
その言葉は、鋭利な刃物のように、わたくしの胸を深く深く抉っていきました。
「ぁ、、様…」
伸ばした手は届くことなく、無情にも様がそこから走り去る音だけが響き渡る。
身体の痛みよりも激しい胸の痛みに耐えきれず、わたくしはその場に崩れ落ちました。
この方ならば、わたくしの全てを許し受け入れてくれる、と幻想を抱いていたのです。落ち着いて考えてみれば、なんと馬鹿なことを。
あの様が、犯罪を犯したわたくしを許すなどと、そんなことあるはずがないと、考えるまでもなく分かり切っていたことでしたのに。
一体何が、どこから、わたくしは間違えていたのでしょうか。
熱に浮かされ、生涯隠し通すべきだった秘め事を様に話してしまったことか。はたまた、欲に溺れて片割れを手にかけたあのときからか。抑々、この世に生まれ落ちたそのときから、全てが間違っていたとでも?
果たしてわたくしは『人間』と呼べるのか。
形こそそれに近づいたとしても、わたくしの犯した罪を思えば。いまのわたくしはもはや『ヒト』ですらない。
殺したのはわたくし。死んだのも、わたくし。
つまるところ、わたくしは自らの手で、『人間』だったわたくしを殺したのです。
なんと愚かで罪深い。こんなわたくしに生きている価値など存在するのでしょうか、いいえ、そんなもの最初からありなどしなかった。
わたくしの妄想なのか幻聴なのか、自分自身を殺した人間が幸せになんてなれないよ。と、クダリの笑い声がするのです。
…ああ、その通りでございますねクダリ。
人並みの幸せを願うことすら、耐えがたい罪だというのなら。わたくしなどいっそ生まれてこなければ。
私をこの世につなぎとめていた何かが、ぶちり、音を立てて引き千切れるのが聞こえた気がいたしました。
生まれる前から知っていた