突如鳴り響いたライブキャスターのコール音に、誇張ではなくの身体がびくりと跳ねた。
恐る恐る取り出してみれば、鳴っているのは確かにのそれで、画面には見知った名前が表示されている。というのに、はその名前を見た瞬間にまるで蛇睨みでもされたかのように固まってしまった。

「あら、出ないの?」
「え、いや、」

「私のことは気にしなくていいのよ」とカミツレが言ったものの、画面を見たままは一向に通話ボタンを押そうとしない。
急かすように鳴り続くコール音にいい加減しびれをきらしたのか、カミツレはひょいとの手からライブキャスターを奪った。

「あ、!」
「もしもし?…あら、ノボリじゃない」
『カミツレ、様?申し訳ありません、わたくしどうやら番号を間違えてしまったようでございます』
「あら、番号は合ってると思うわよ。これは私のライブキャスターじゃなくてのだから」
『では、様はどこに?』
「ここに居るわ。そんなに急かさなくても今かわるわよ」

はい、と何事もなかったかのようにそれを返されて、ノボリとカミツレの会話を茫然と見ていたは一瞬何が起こったのかよくわからなかった。
ハっと我に返ると、ようやく自身のライブキャスターと向き直る。その表情は緊張からか、やけに固くなっていた。

「あ、あああのえと、その、何か、御用です、か…?」
「いえ、大した用事では…。ただ、わたくし明日急遽休日を頂けることとなったので、様のご都合が合えばぜひお会いしませんか」
「へ…?え、っと」

は困ったように視線をうろつかせた。迷うそぶりを見せるにおいうちをかけるように、ノボリは更に言葉を重ねる。

「最近お互いに忙しかったものですから、二人でゆっくりと過ごせれば、と思ったのですが…、如何でしょう?」

しかし、は申し訳なさそうに眉を下げると、ノボリの顔が見えないように目を逸らしたままでそれに答えた。

「あ、の、お気持ちは嬉しいんですけど、私、明日もお仕事があって…」

そう言ってから横目で窺い見たノボリは至極残念そうな顔で、ちくり、との胸が痛む。

「…そうですか」
「その、ごめんなさい…」
「いえ、急な話でしたし、気になさらないでくださいまし。画面越しではありますが、こうして様のお顔を見ることができてわたくしは幸せでございます」

砂糖を吐くような甘ったるいセリフに、の顔が見る見るうちに赤く染まる、それを楽しそうに眺めたあと、「それでは」と言ってぶつりと画面が暗くなった。
通話を終わらせ、ふう…とため息を吐いたに、二人のやり取りを静観していたカミツレが声をかける。

「シフトぐらいなら融通したのに」
「う…、でも、やっぱりお仕事としてジムトレーナーやってるわけですし、こんな私用でお休みもらうわけには…」
「ほんと真面目ねぇ…。まあそういうところが長所なんでしょうけど」

でも、いくら付き合ってるからって二人の時間はきちんと確保しておかなきゃ駄目よ、と諭すカミツレの目は真剣で、はびくりと後ずさった。

「あれでもノボリって人気なんだから」
「それは、知ってます、けど」
「あんな風に、避けてるような態度ばっかり取っていたらいつかどこかのチョロネコに掻っ攫われちゃうかもしれないわよ」

痛いところをつかれて、ぐっとは黙りこくる。確かに、折角連絡を貰ってもまともに顔を見ようともしない上誘いも断っていれば、避けていると言われても仕方がない。

「う、うう…分かってます、もん」

涙目になってそう唸るには、続けてカミツレが小さく零した「まあ、彼はあなたにゾッコンみたいだからその心配はないだろうけど」という独り言が届くことはなかった。


それから数日後、ジムまで迷い込んできたカズマサをギアステーションまで案内するという役目を仰せつかったは、嫌々ながらもギアステーションを訪れていた。
それはとノボリが付き合っていると知っているカミツレを筆頭としたジムトレーナー達の気遣いでもあったのだが、から言わせれば気まずいことこの上ない。
なにせ、あの後からはノボリとまともに会話すらしていない。何度かノボリから連絡はあったものの、忙しいからという理由ですぐにそれを断ちきっていた。もしばったり出くわしでもしたら、どんな顔をすればいいのか、そう考えると不安でたまらない。
カズマサが迷い込んでくることは今までにも間々あったものの、なぜこのタイミングなのかと、無駄だと分かっていながらも彼の迷子癖を恨めしく思わずにはいられない。
「ありがとうございましたー!」というカズマサの人懐っこい笑顔と元気な声に見送られ、はそそくさとその場を後にした。
視界の端に黒いコートが横切りはしまいかと、きょろきょろしながら出口を目指す姿はあからさまに挙動不審だが、今のにそんなことを気にする余裕などない。
ようやく地上へと続く長い階段を捉え、あともう少しだと安心しかけたその時のことだった。

「わた…、……の、が、好き…です」

柱の陰から聞こえてきた話し声に、はぴくりと足を止めた。
途切れ途切れでよく聞き取れなかったが、一応物陰には隠れているもののどうやらこんな公衆の面前で愛の告白を敢行しているらしく、どうにも出ていきにくい。
思わず立ち止まってしまったものの、他人の色恋沙汰を盗み聞きする趣味があるわけでもなく、出来る限りそちらを見ないようにして突っ切ろうとしたとき、相手の男性の聞きなれた声を耳にして、の身体が硬直した。

「はあ、…わたくしを、ですか?」

困惑したようなその声は確かにノボリのもので、恐る恐る覗き込めば見知らぬ女の子の顔とそれに向かい合うように立つ黒いコートを着た長身が見えた。
ふいに、先日のカミツレの言葉が頭をよぎる。まさか、とは思うものの、ノボリの答えを聞くのが恐ろしくは回れ右をするとその場を走り去った。

様!? お、お待ちくださいまし!」

物音に気付いたのか、ノボリが追いかけてくるのを感じ、我武者羅に走る。を追ってノボリも走る。その追いかけっこをとめたのは、たまたま通りかかったクダリだった。

「あ、、駄目だよ駅を走っちゃ…って、ノボリも!?」
「クダリさんっ!」

ぶつかるほどの勢いでクダリに走り寄ると、まるで壁にするようにその背へと身を隠す。
ようやく追いついたノボリも立ち止まり、クダリを挟むようにしてとノボリは向かい合う。一人状況についていけていないクダリは首を傾げた。

「何、二人ともどうしたの?」
「その…ノボリさん、が、今さっき女の子に告白されてて」
「えっ!?楽しそ…じゃなくて、それで、返事はどうしたの?」
「勿論わたくしには様がいらっしゃるのですから、お断りいたしました!」
「で、でも、あの子、私よりずっと可愛かったし、私なんかよりずっとノボリさんに似合ってて…!」

じわり、自分の情けなさにの目に涙が溜まる。ぐすぐすと言い出したを落ち着かせるためにも、このままでは話にならないと判断したノボリが努めて優しげな声を出した。

様、とりあえずクダリの後ろから出てきてくださいまし」
「う…、嫌です無理ですっ」

勢いよく否定され、今度はノボリの方が動きを止める番だった。暫しの沈黙の後、ノボリが絞り出すように口を開いた。

「わたくしの顔が見たくないのであればそのままでも構いません。…様、一つだけ、質問してもよろしいでしょうか」
「な、なんですか…?」
様は、わたくしのことをお嫌いなのですか…?」

そのセリフには背けていた顔をバッとノボリの方へ向けた。
視界に映ったひどく悲しげなノボリに、ずきずきという痛みにも似た罪悪感がを襲い、それを振り払うように、は、滅多に上げないような声量でそれを否定した。

「そんなこと、あるわけないじゃないですか…!」
「あれ、そうなの?」
「クダリさんはちょっと黙っててください!」

の言葉に意外そうな声を上げたのはクダリで、しかしそれもぴしゃりと遮られ、「はーい」とだけ答えてクダリはそのまま口を閉じた。

「しかし、様はどうにもわたくしを避けていらっしゃるようですし…」
「そんな…!避けてない…とは言い切れません、けど…」
そこは嘘でも避けてないって言い切るところだよ」
「クダリは少し黙っていなさい」
「…はーい」

懲りずに口を出したクダリに今度はノボリから鋭い声が飛ぶ。

「その、私…ノボリさんを見るの、恥ずかしくて…」
「恥ずかしい…?」
「どういう意味でしょうか…?」

のセリフに、ノボリとクダリ、両方の頭上にハテナマークが浮かんだ。

「えと、だから、その…っ」

そういったきり、もごもごと口の中で呟かれた言葉は誰の耳にも届くことなく消えていく。
ノボリは急かすわけでもなく次の言葉を根気よく待ち、とうとうは意を決したように息を吸い込み、続きを口にした。

「…っノボリさん、が、かっこいい、からっ!……直視すると、顔、赤くなっちゃって…」

語尾の方は消えかけていたものの、今度はしっかりと誰しもの耳に届き、カッとノボリの顔に朱が走る。

「そ、そうでしたか…」

それっきり、当事者二人はお互いに顔を赤らめ黙ったまま、不毛な沈黙を破ったのはクダリの呑気な声だった。

「なにこれ、もしかしてぼくバカップルの惚気を聞かされただけ?」

あーあ、心配して損した!とだけ言うと、自身の背に隠れたままのをずいっとノボリの前へと差し出す。

「え、えっ!?ちょ、クダリさん!?」
「今度から喧嘩するならぼくを巻き込まないようにやってよね」

そう言い残して立ち去るクダリを二人で見送り、それから真っ赤な顔を見合わせる。
恥ずかしいことを言ってしまった自覚のあるは口を開こうとしないノボリに、呆れられてしまったかと思うと気が気でなく、思い切って口火を切った。

「あ、の、ノボリさ、」
様」
「っ、はい!?」
「抱きしめてもよろしいですか」
「は、いぃ!? いや、無理です駄目です」
「しかし様があまりにも可愛らしいことを仰るものですから…わたくしガマンできません」

の必死な拒絶を受けてもノボリはめげることなく迫っていく。ついに「せ、せめて場所を変えましょう…!」とが折れた。
その言葉を待ち望んでいたように、ノボリはの腕を取るとエスコートするかのように歩き出した。その足はまっすぐに、従業員通路へと向かっている。

「ノ、ノボリさん…!?」
「そうと決まれば善は急げです、場所を変えれば良いとご自分が仰ったのですよ?」
「え、や、そういう意味じゃ…!」
「いえ、この機会に様にはわたくしに慣れていただかなければいけませんから」
「ひぇ、っ」

ノボリの言葉にが背筋を震わせた。やけに機嫌の良さそうなノボリの様子に、悪い予感しかしない。
どうやら大変なことになりそうだと思いながらも満更でもなく、はノボリの手をそっと握り返した。