抑々、最初からくのいちになんてなるつもりはなくて、ユキちゃんのように、ただ行儀見習いとして入学しただけだった。
私みたいに運動神経の欠片もないような人間が、くのいちになんてなれるわけもないって、そんなことは最初から知っていたし、くのいちを目指す他のみんなみたいに、授業に対して真剣になりきることもできなくて。特に、ここにきて四年目になって始まった色の授業だけは、どうしても、受け入れることが出来なかった。
だから、授業の終わり、山本先生に「さん、ちょっといいかしら?」と呼び出された時もなんとなくどんな内容なのかは察していた。


「綾部」
「…」
「ねえ聞いてる?」
「……」
「…もう。いいわよ勝手に話すから」
「………」
「あのさ、私、忍術学園辞めることにしたから」
「…は?」

いつものように学園の庭を穴ぼこだらけにしていた綾部を見つけ、声をかける。
無心になって穴を深くする綾部は私の話なんて聞いていないように見えたけど、どうやらそうじゃなかったみたいだ。
反応があったこともだけど、それより綾部が唖然とした声を上げたことに私も驚いてしまう。

「どうして、ぼくが知らない間にそんなことになってるの」
「どうしてって、私には向いてないからだけど」
「違う、そうじゃなくて」

ザクザク、土を掘る音が止まったことに気づいてタコ壺を覗き込むと、妙に不機嫌な綾部が私を見上げていた。
そうじゃないってどういうことだ。綾部が不機嫌な理由も、言葉の意図もわからずに首を傾げる。
珍しく、むすっとした表情を崩さないままの綾部は自分の身長よりも深い穴からひょいと抜け出すと私に向き合った。
ああ、せっかく中々可愛い顔をしているというのに、今は土塗れで見る影もない。勿体ないな、なんて比較的どうでもいいことを考えていた私とは対照的に綾部の顔はいつになく真剣で、正直、直視できなかった。

「ぼくが言いたいのは、どうして勝手にそんな大事なことを決めたりしたのかってことなんだけど」
「勝手に、って。別に私一人で決めたわけじゃないよ」

そうだ、山本先生ともきちんと話し合って、ちゃんと将来のことも考えて決めたことだ。
忍術学園に三年間通って得た知識はきっと今後役に立つだろう。ただ、くのいちになるつもりのない私には今以上の本格的な授業にはついていけない。
今はまだ、色の授業だって座学だけだけど、これが実習になったら?それ以外にも、暗殺の実習なんて始まったら?そんなの、耐えきれるわけがない。
だというのに、綾部はやっぱり不満げで。授業についていけずに辞める人なんて今までだってそれなりにいただろうに、どうしてここまでムキになるのか。全く持って綾部らしくもない言動がなんだかしっくりこなくて、一人居心地の悪さを覚え始めたとき、ふいに綾部が口を開いた。

が学園を辞めたら、今までみたいに気軽に会えなくなる」
「…は?」

今度は、私が唖然とする番だった。なんだその、まるで、私のことを気に入っているような口ぶりは。
私と綾部は、ただ今まで合同実習なんかでよくペアになっていて、その縁でこうやって話をするぐらいの仲で、私からすれば綾部は数少ない忍たまの友達ぐらいにしか思っていなかった。話といっても、私が一方的に話すことが多くて、だから、綾部は私のことなんてなんとも思ってないと、そう思っていたのに。

「ぼくは、が思っているよりも、のこと気に入ってるよ」

まるで私の思考を読んだかのようなタイミングで、綾部は更に爆弾を投下した。私の穏やかではない心中を無視して、綾部が私に問いかける。

は?ぼくのこと、どう思っているの?」
「わ、私、は、」
「ねえ、教えてよ」

急かされて、まとまらない思考を無理やりにかき集める。そうして私の口からこぼれたのは、なんともはっきりしない返答だった。

「私、だって…綾部と会えないのは、寂しいなって思うし、綾部のこと、嫌いじゃない、よ。……多分」
「嫌いじゃないとか、多分とか、なんでそんな曖昧な…」
「だって!そんなこと考えたこともなかったんだもの!!」

それは確かに本心で、だけど少しだけ嘘も混ざっていて。考えたことはなかったけれど、少し考えてみれば行き着く答えは分かり切っている。
実習のペアになれて内心喜んだり、わざわざ姿を見かけて声をかけたり、綾部と話ができたその日は嬉しくて上機嫌だったり、逆に綾部に会えない日はなんだか寂しかったり、思い返せばまさしく恋する女の子のそれで、今更ながらに顔が赤くなりそうだった。
まさか、今になって自分の気持ちに気づくだなんて、自分のことながらあまりの鈍感さに笑い出しそうになる。けれど、一度決めたことを撤回する気も、私にはさらさらなかった。

「でも、学園を辞めても会えないわけじゃない、から。手紙とか、休みの日に会ったりとか、できないわけじゃない、し」
「確かに、ね。それに、が授業に対して悩んでいたのはぼくだって気づいてたよ」
「え、そうなの!?」
「最近はずっと沈んだ顔をしていたしね。…がきちんと考えて決めたならぼくはそれを応援するつもりだけど」

「ただぼくに事後報告だったのが、気に入らなかっただけで」そう続けた綾部の顔は、よくよく見てみれば不満というよりも拗ねているそれで。
あの綾部が嫉妬をしていたのか。あのマイペース街道を爆走している綾部が!私なんかのことで!
新鮮な驚きとともに、胸に広がる暖かな思いが、きちんとした形になるのもそう遠くない未来のことのような気がした。










「ああ、でも、が居ないと本当に寂しくなるな」

しみじみとそう呟いた綾部は、次の瞬間とんでもないことを口走った。

「いっそ、のこと埋めちゃえばいいのかな」
「綾部が言うと冗談に聞こえないんだからやめてよ…」
「どうして、冗談だって思うわけ?」
「そりゃ、だって、埋めるって、そんなことしたら死んじゃうし」
「でも、そうしたらはここから離れられない、でしょ?」

ずい、と綾部が顔を近づけてきて、真実味を帯びたぎらぎらと輝く瞳が恐ろしく、「ひ、」と喉から小さく悲鳴が漏れた。
綾部の、忍としての目が、怖い、と心から思う。心底怯えてしまった私を見て、綾部はふっと表情を、いつもの飄々としたそれに戻した。とたんに解けた緊張の糸に、どっと全身を疲労感が襲う。

「でも、そんなことしたらが死んじゃうから、やめとく」

どこまで本気だったのか、綾部の真意を測りかねて二の句が継げない私をよそに、綾部はなにか名案を思い付いたというようにポン、と手を打った。
今度は何を言い出すのか、警戒を強めた私に向かって、綾部が口にしたのは、先ほどとは全く別のの意味でとんでもないことだった。

「そうだ、その代わり、このタコ壺にって名前をつけてが居ない間の寂しさを紛らわせることにしよう」
「恥ずかしいからそれはやめて!」
「じゃあを埋める?」
「それもだめ!っていうかどうしてその二択なの!!」

真剣な綾部も、嫉妬する綾部も、そして今の、忍の目をした綾部も。どの綾部も私が初めてみる姿ばかりで。本当に、今日は綾部の新たな面ばかり見る日だ。そして分かったことは、本当に綾部という男は訳が分からないということだけ。
けれどきっと、それを楽しいと思ってる私もまた、訳の分からない同類なのかも、なんて。