「嘘、足りない…」

本屋の片隅で、は絶望的な声を上げた。
の手にはお気に入りの小説。
しかも1年半ぶりの新刊だ。占めて税込み1315円也。

そしての財布の中には1000円札一枚と、100円玉が一枚のみ。計1100円。
足りない。いくら計算したところで、215円ほど足りない。

制服のポケットの中に500円ぐらい入ってなかっただろうか。
そう思ってガサガサとひっくり返してみるものの、出てくるのは鍵だったり飴玉だったりで、目的のものは影も形も見つからない。
折角部活も休んで買いに来たというのに、何なんだ、この仕打ちは。

「うー…楽しみにしてたのにー…」

お金がないのだから、買えるわけないのだが、現物を前にして我慢というのも、なかなか酷なものだ。
ましてや、足りないのが500円以上ならあきらめがつくのだろうが、
215円という頑張ればどうにかなりそう(実際どうにもならないのだが)な所がまた悔しさを誘う。
本を、棚に戻しかけて、でもやはり勿体無くてまた手元に戻す。
という行動を数分間続けてみるものの丁度良く知り合いが通り過ぎるわけでもなく
は、はぁ、とため息を吐いて、本を棚に戻した。

と、そのとき、は後ろから見知らぬ(この場合だと聞き知らぬ、か)声をかけられた。

「それ、買わないんですか?」
「え?」

ふりむくと、当たり前だが見たことも無い少年が立っていた。
緑のつなぎを着ていて、今からでも工事現場にいけそうだ。
その割に、なんというか、顔が可愛いので工事現場みたいな無骨な所はあまり似合わない気もする。

「えー…と、初めまして、ですよね? あ、もしかしてずっとココに居たものだから邪魔でした?」
「いえ、5分前くらいからずっとその本もってウロウロしていたので、どうしたのかな、と思って」

少年はそう言って、にこりと笑った。
反対に、あの状況を見られていたのか、との顔は恥ずかしさで赤く染まっていく。
というか、よく考えれば品物を持ってうろうろする、というのはかなり怪しい行為だったりする。

「見…見てたんですか…」
「えぇ。可愛い人が居るなぁ、と思って」
「可愛っ…!?」

にこにことした表情のままの少年にそういわれて、はあまりの恥ずかしさにてで顔を覆った。
その後、顔をパタパタと仰ぎながら、無意味に笑いつつ、うろうろしていた理由を少年に話す。

「いや、その、買うつもりだったんですけど、ちょっと手持ちが足りなくて…」
「お金が、ですか?」
「はい…215円ほど…」

というわけで、買えないんですよ。と、てへへと笑って言うと、少年は僅かに苦笑して、
「じゃあ、どうぞ」
と、に500円硬貨を渡した。

「え?」

勢いで受け取ったものの、今だに意味が分からず混乱しているに少年はまた苦笑を漏らすと、「それでは」と言い颯爽と本屋から出て行ってしまった。

「え、…ええ?」

の手に残されたのは、一枚の500円硬貨。

「えっと…ありがとう……ございます」

今はもう、いない少年に向かって呟く。
相手の名前すら、知らない。

けれど、は、確実に、その少年に恋をしてしまっていた。




                                                 (たった500円の恋)